こんにちは、取手市のみうらマッサージ治療院院長の、よう院長です。
大人が自分のことを語りすぎると、「うわ、キモっ」って言われそうですが、今日はプロフィールの第2弾=「私がマッサージ師になった理由」を書こうと思います。
書こうと思った理由は、「院長プロフィール」の閲覧数がとても多いから。要するに、「どんな人が施術するんだろう?」ということが気になる方が多いんだと思うんですね。私も若い頃、腰痛、頭痛、首痛などでいろいろなところに施術を受けに行きましたが、やっぱり「どんな人が施術してくれるんだろう」というのは気になりました。
それは、
□ どんな資格を持っているのか
□ どういう経歴の人なのか□ どんな考え方の人なのか
□ どんな性格の人なのか
□ 怖い人じゃないといいな□ 優しい人だといいな
などなど、単に施術が上手いかどうかだけでない、人として自分に「合うかどうか」の情報が知りたいという気持ちがあったのだと思います。
人は、初対面の人と会ったとき、必ず共通点を探します。□ 同郷であるとか、
□ 同じ学校を出ているとか、
□ 同じ歳だとか、
□ 同じ趣味があるとか、
□ 同じスポーツが好きだとか、
そういう、共通点から親近感が芽生え、信頼が深まることが多いです。
ですから、つまらないことのように見えても、実はちょっとした趣味とか好みが、人を惹きつけたりするんですね。
私は、初対面の方の体に触れる仕事をしますので、やはり信頼が大切だと思っています。
だから、「キモっ!」と言われるリスクを冒してでも、自分のことを書くのです。
2022年に書いた「院長プロフィール」より細かいこと、掘り下げたことを書こうと思います。
ほらまた、前置きが長い。ごめんなさい。
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◆ マッサージ師になった理由
50代で前職を辞めたとき、何の仕事をしようかなどと考える余裕もありませんでした。
心身が弱っていたからです。
でも、組織の中で働くのはもうゴメンだという思いはありました。
自分ひとりで働いて、生きていこうと決めていました。
元気になるにつれ、いろいろ考えました。
料理が好きだったので、屋台のラーメン屋さんとか、
花が好きなので、花の移動販売とか、
文章は時々ほめられるので、フリーのライターになろうとか、
今考えると笑ってしまうのですが、当時は本気で考えてました。
でも、そんなの、思いつきでできるほど、世の中甘くないですよね。
そして一つの結論に達しました。
国家資格を取ろう、と。民間資格ではだめだ、国家資格だ、と。
そして同時に、個人で開業できるものでなければいけないと。
そうすると、自ずと狭まってきますよね。
同時に、「自分には何ができるんだろう」ということも考えました。人生を振り返って、人と比べて自分は何が優れているのか。
子供の頃は勉強が得意でした。
神童と呼ばれたこともある(笑)。
でも、今は違う。
そもそも、学校の成績なんて、大人になってからは何の役にも立ちません。
気づくと、何も取り柄がないように思えてきました。
しかし、ふと思い出しました。
父が、私が肩をたたいたり、足裏を揉んだりすることをとても喜んで、いつも褒めてくれたことを。
(あ、今、何言ってんだコイツ、って思いましたか?)
私は、亡くなった父が、困っている私にヒントを送ってくれたんだと思っています。
思えば、相当追い詰められていたのかもしれません。しかし、これだ!と思ったのです。
プロフにも書きましたが、私は高校時代から腰や首を痛め、いろいろな先生の施術に助けられてきました。
その「患者としての経験」は、実は財産なんじゃないかと思いました。
治してもらえたときのありがたさを思い出しました。
そして、自分とマッサージの記憶をたどってみると、次々に良いことばかりが思い浮かんで来ました。
高校時代、部活の練習後に顧問の先生や先輩に頼まれて、自己流のマッサージで好評を博していたこと。
前職の相互理解の研修で、同僚たちから大変ほめられたこと。
もうこうなると、思い込みの世界です(笑)。
勘違いや思い込みがあるくらいの方が、新しいチャレンジには都合がいい。
あん摩マッサージ指圧師は、国家資格です。
一人で開業できます。
仕入れも、在庫もありません。部屋とベッドがあればいい。
これで生きていこう、と決めました。
今度は私が、体が痛い人、つらい人のために働こう、と思いました。
父が褒めてくれた私の「手」を信じてみようと思いました。
そうして、私はあん摩マッサージ指圧師の国家試験受験資格が得られる学校に入学したのです。
◆ 沖縄のおばあの話
もうひとつ大切な経験がありました。
それは、沖縄で出会った、マッサージ師のおばあちゃん(沖縄では、おばあ)のことです。
このことは、別の記事ですでに記しています。
気になる方は、ぜひ読んでみてください。
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